滋賀県奥琵琶湖からマキノ在原集落へ。茅葺屋根の住宅に今も住む人々

近江舞子でのBBQ。

この夏私達家族は琵琶湖でのBBQに招待して頂き、初めての湖水浴を体験しました。

近江舞子は水も綺麗で穏やかな時間が流れ、海とは一味違った遊びにみんな大満足で、友人夫婦が用意してくれた食事もとても美味しかった。はっきり言って自分たちには「おもてなし能力」が欠乏しており、彼らの行動に感心するばかり。

着替えのテントを用意してくれたり、BBQの全ての用意・氷の提供などもそうだし場所取りや片付けなどほとんど甘えてしまった。本当に有難う。感謝します。

マキノ。セコイヤ並木。奥琵琶湖。

そのあと我々家族は奥琵琶湖へ移動し、マキノグランドホテルへ。

夕食はバイキングだったのだが、これが美味しかった。
私ははっきり言ってバイキングが嫌いだ。品数だけ無駄に多く、野菜はしなった状態で生ものは乾いた表面。
だけどこちらの味付け、提供のタイミング、ロスを出さずに美味しいものを提供する努力など好感度が高かったです。お肉もお客さんが入ってきたタイミングで焼いてくれたり、飲み物もきちんと足りていてテーブルも綺麗に拭かれていました。マリネなどの生物も新鮮度が高く嬉しかったです。

私たちの泊まった部屋はツインの小さな部屋で、残念な点があるとすれば大浴場が無いことぐらい。子連れだったので部屋のシャワーは狭くて使いづらかったですが、ホテルから直接湖水浴へ行けてチェックアウトした後も着替えなどすべてサポートしてくださるよう。
ビーチを散歩してみると、近江舞子ほど海っぽさはないものの綺麗で十分遊べるビーチ。とても広く混雑とは無縁のようですし、グランピングやキャンプエリアも近く、アウトドア初心者でも遊べる場所のようです。

ホテルのサービスなのか、カヌーなども出来るようで手ぶらでふらっと寄っても大人が十分遊べるホテルでした。

朝ごはんは同じくバイキングで、こちらも美味しかったです。琵琶湖ならではの佃煮などもあって、地域の味も楽しめます。

奥琵琶湖散策へ。

ここからは車でドライブ。

近くに大崎寺という古いお寺があるようで、そこへ向かいました。安土の天井血や十一面観音などガイドブックには載っていましたが、到着してみると人の気配はなく、全く中を見ることはできませんでした。残念ですが、お手入れは本堂周りだけのようで、奥の敷地へ行く経路は苔が蒸していたり葉っぱが重なっていて足場が不安定でした。一番奥へ行くと竹生島が見え、松の木が少し生える絶壁からの景色はとても美しかったです。まさに私たち以外は誰もいない世界。きっと1000年前からこの景色は変わっていないと思います。昔の人、おーい。

その後、お賓頭盧さまを拝んで、お賽銭を少しだけ入れてお寺を後にしました。たくさん参拝客が来る訳でもないのにこれだけのものを維持するのは大変なんだろうなぁ。

在原業平所縁の地、在原集落。

茅葺き屋根の集落があるそうで、その後車で20分程走り訪れることにしました。

在原業平とは桓武天皇と阿保天皇の血筋を引く高貴なお方だそうですが、不運に見舞われ奈良や滋賀、岐阜を転々としたようです。集落から少し上へ登るとお墓とされる場所もあるようですが、今回は雨がパラパラしてきたので遠慮しました。

まず集落の入り口に駐車場があり、そこへ車を止めました。地図には「公園」の横が駐車場となっていたのでここであっているのかな?と話していると、駐車場の片隅に子供の遊具が片付けられていました。やっぱりここが公園だったようです。
もう小さな子供もいないことでしょうし、外部から来た観光客が遊んで怪我でもしたら大変ですもんね。

少し歩いていくと小学校がありました。「分校」と書かれた小さな小学校は、当時は生徒もたくさんいたのでしょう。規模は小さいですが綺麗な学校です。運動場は芝生状態で、誰も使っていないようですね。ジャングルジムがありました。中には鍵がかかっていて入れません。隣の体育館も、老朽化しています。

小学校を過ぎると集落があります。
どうやらそれぞれのお宅に川からの水路が引かれています。溝は50センチほどの広さで、深さも結構あります。今もここで野菜を洗ったりしているのでしょうか?傾斜のある場所が多く、水が滞留している場所はあまりありません。一件だけ鯉を飼っているお宅があり、そこは大きく立派な綺麗な鯉が4匹。この鯉は、野菜などを洗った時に出る残飯を食べさせたり、食事の後の食器を置いておくと綺麗に舐めてくれるそう。大昔に既に自動食洗機があったなんて!?しかも完全循環型。滋賀の方々の水の循環術には驚かされるばかりです。残念ながら、お野菜や食器を水路で見かけることはなかったのですが、綺麗な街並みでした。

さあ、村の入口から少し下ると廃墟のお宅も何点かお見受けしました。
茅葺き屋根の立派なおうちです。土塀があり、瓦を使ったハイブリッドな作りを見ると、改修した年代がかなり違うようです。

外壁は土壁ですが瓦屋根。住居は茅葺き屋根のようですが、天井もかなり朽ちて落ちてしまっていますね。このままおいていてもすべて土に還りそうな予感。

一軒一軒のお宅の敷地は大きく、植えている木も大きいものが多いです。

こちらは在原地区の下側で、もしかすると山側からくる北風も緩和され、多少暖かいのでしょうか。

こちらはお手入れされていて、今も住まれています。

下の方から集落を撮った写真です。こうして見ると普通の町ですね。きっと、茅葺き屋根の維持が難しいので途中で建て直されたお宅も多いと思います。

この写真は山側ですが、反対側は広大な田んぼが広がっていて、集落の方々が農家として管理されているようです。

今年の日照りと異常な猛暑で川は枯れています。3本の川で農業を営む集落ですが、こちらの川は完全に枯れ、一ヶ月ほど十分な雨が降らないので今年は枯れた川の田畑はエンジンで汲み上げたそうです。(ちなみに業平そばのお店の奥様から伺ったお話です)

こちらもお住まいになっているお宅のようで、綺麗にされていました。お家の外壁の周りに更に壁を取り付けているお宅が多いです。豪雪地帯だと思いますので、空気の壁で寒さを遮断するためでしょうか。

生活感がいい感じです。因みにどのお宅もエアコンは使っていませんでした。

茅葺き屋根のお家はとても風通しがよく、夏は涼しく冬は暖かいそうです。300年も前から作られた家だそうで、茅葺に住むと瓦は暑くて住めないとおっしゃっていました。茅葺の葺替えは相当労力が居るらしく、前の年からお手伝いを募るそうです。茅葺き自体も一度には買い揃えられないので、少しずつ買っては庭に貯めておくとか。乾かさないといけませんしね。お金もかなりかかるそうで、30年に一度とはいえ大変な作業ですね。

北側に向かっていくと、茅葺き屋根のお宅の北側には藁で壁をぐるりと補強していました。北風で痛むのだそうで、補強として囲うのだそう。断熱の意味もありそう。「北ベラ」と呼ばれる北側、「前ベラ」「西ベラ」「東ベラ」と教えていただきました。(だけど考えて見ると入口はそれぞれ南や東・西を向いています。前ベラとは玄関のことなのか?南のことなのか?詳しい方はフォローー願いします。)

屋根に苔が生えてくると痛みが進むらしく、葺替えの時期の目安になるようです。まじ自然と一体な感じに心安らぐ集落でした。

まだまだ写真を撮る予定が、バッテリーが切れてしまいました。

その後神社の方へ歩いてみました。神社のお参りをした後、入口と反対側を進むとお寺と繋がっていました。300年前からの集落で、もしかすると神仏習合を免れたのかもしれません。私が知る限りとても珍しいつくりです。

各家庭の味があるそう。業平そば。

その後業平そばという看板が気になり、お蕎麦をいただきに行きました。11時から14時まで営業され、それ以外のお時間は農業をされるそう。木曜日はお休みだったかな、、、?ご主人が別のお店もされているそうなので、毎日は営業してないみたいです。

メニューはそば(暖かい・冷たい)600円
私たちは冷たいお蕎麦にしました。手打ちのお蕎麦で、手作り感満載ですが素朴な味わいで都会では絶対出会えない味です。きっとこれだって300年変わってないよ。

季節の天ぷらを頼んだのですが、稚鮎やかぼちゃ・山菜などがどーん!美味しかったです。すべて手作りのお野菜で、稚鮎も◎。しかも500円と破格でした。

お金を出せばなんでも食べられるのは当たり前のようですが、こんな町に来るとそれがとても有難いことだと再確認。招いてくれるだけで素晴らしいこと。しかもゼリーとかお菓子とかサービスして貰いました。ちなみに公衆トイレがわからなかったのですが、こちらで借りました。お店の中ではなく、広い敷地の一角にありました。

こちらの奥様に色々とお話を伺って、とても興味深いお話ばかりで楽しかったです。今年は異常な暑さで川が枯れたこととか、雨が降らないと大根が洗えないとか。日照りで田んぼのお米が心配とか、茅葺き屋根の家のすみやすさだとか。
今はこちらの息子さんが村に残っているだけで、ほかの若者は村から出て行ったそうです。商店も一つもないのですが、週に一回生協が来てくれてなんでも食べられるよと言っていました。今のところ村には2件売り家が出ているそうで、こちらは普通のお家のようです。再興してほしい反面、この村は静かにひっそり存在してほしいな。という凛としたプライドを感じさせる集落でもある。また行きたいです。

その後は、近くの温泉で休憩して帰宅しました。
温泉は集落から割と近くて、小さな小川のそばにキャンプ施設などがある複合施設でした。今度はキャンプも来てみたい。マキノ地区での探検オススメです!